【Memorandum】分類の難しい例、ペラルマトゥスマルバネクワガタ

 長年に亘り悩んできた分類群例としてNeolucanus perarmatus Didier, 1925:ペラルマトゥスマルバネクワガタがある。人間が問題を引き起こして訳が分からなくなっている分類群というよりも、生物学的に種内分類の解釈が困難な分類群として。

 N. perarmatusラオスを基産地とされ、中国南東の広いエリアからベトナム北部(タムダオ、カオバン等)〜ベトナム中部等で分布が見られる。なお原記載では「"ラオス1913年"との産地ラベルが貼られているが正確な産地は不明である」と注記され、福建省産の♀を同種だろうと記述される。一昔前は普通種扱いで割と沢山見かけたが、いつの間にかあまり個体数を見なくなった。

 一般的には中国産を亜種"Neolucanus perarmatus goral Kriesche, 1926"と分け、ベトナム産を原亜種とする人をよく見かける。N. perarmatus Didier, 1925の♂タイプ図は59mmの短歯型で曖昧な判断だが体格はベトナム産にやや似る。

 過去に目にしたラオス産の個体群は中国産に似ていたため、一般的な分類には説得力が欠けているが、今回は其れよりもグルーピングについて考えるというもの。中国産とベトナム産のN. perarmatusは亜種以上に違うと言えるのか否か。

 此の分類群については"少ないながら見分けのつかない個体が散見される。地域変異かも?"との話をよく見聞きした。実際どうなのか。

 比較のために用意した中国産は長年お世話になっている上海の標本商など幾つかの現地ルートを頼り広西荘族自治区産、広東省産、貴州省産を揃え、ベトナム産についても幾つかのベトナム現地ルートから入手した個体群をメインに使用した。

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 一般的に"ペラルマトゥスマルバネクワガタ"というと同属最大種であり、大顎のよく伸び特徴的な中間内歯を備える中国産の大歯型♂を見る事が多く、其れがイメージとして思い浮かびやすい。

 そしてベトナム北部産は比較的大柄な体格で、大型で大顎が良く発達した方でも、大抵の場合は中国産で見られる中歯〜準大歯に似た型になる。一方でベトナム中部産の大顎は、中国産のような型になりやすい。

f:id:iVene:20230822002857j:image(中国各地の個体群。スレンダーで大顎の発達が良い)

 ここでなぜ中国産とベトナム産が分けられているかというと、"上翅などの光沢に差異があるから"と言われる事がある。ベトナム中部産は確かに光沢の強い個体群ばかりだが、ベトナム北部産は光沢の強い個体群と、中国産と同等の光沢のものが見られる。

 中国産とベトナム北部産では体格に結構な差異があるので別種か否か確認するため交尾器形態の比較もしてみたが、地域的な傾向は見られるものの変異幅が広く全く見分けられない個体群が見られ同種と考えられた。ついでにベトナム中部産も同種だった。

 ベトナム北部産で"完全大歯"と勘違いされやすい大歯型はベトナム中部産でも見られ、他細部の比較でもベトナム中部産とベトナム北部産では明瞭な差異が無いと解る。ベトナム中部では限界型に近い大歯が現れやすいらしい。

f:id:iVene:20230822000243j:imageベトナム北部各地産。比較的大柄の体格。手元の最大♂は78.6mm)

 ベトナム北部産は殆どの個体で脚も太い傾向。しかしベトナム中部や中国産とは連続的な変異で、腹面や側面などを見比べても、体格に対する比率では大顎以外で見分けられる点が明瞭では無い。短歯オスやメスでも傾向は見られるが、どうもハッキリしない。ううむ。。

f:id:iVene:20230822003003j:imageベトナム中部産。大顎のパターンは様々で体表の光沢が強い。此の産地の個体群は大きくなるほど大顎が長くなる。特異的な感じはするが北部にも同様の個体が見られる)

 そんな感じで悶々と悩んでいた所で、大層面白い個体に出会した。ベトナム北部に何度も足を運び現地調達を行ってきた標本商の友人が、ベトナム北部産から大顎の発達が抜きん出て良い1♂個体を出品されていたのだ。

 標本商の友人は"ペラルマトゥスの分類はよく分からん"と仰られていたが、かなり面白い型の個体だった。右側の上翅に大きく亀裂が入るなど不完品であるものの、中国産でよく見られるような印象の大歯に、ズングリとした体格のオス個体。一目で"見た事の無い異様な個体"と理解し発注する事にした。標本商の友人については現地調達の実績を私自身よく知るところなので、データについて信用がある。加えて個体そのものの発生形態から、"ベトナム北部産"としての信頼性がかなり高い。脚部から大顎まで、中国産では見た事のない体比率だった。

f:id:iVene:20230822000402j:imageベトナム北部カオバン産2007年採集77.5mm♂個体。ベトナム北部産らしくゴツい。しかし大顎はよく発達する。N. perarmatusを延々と考えていると、とてつもない型と解る。当記事では便宜上"限界型"・"限界大歯型"と呼称する)

f:id:iVene:20230822000413j:image(大顎側面。中間の縦状内歯が良く発達する)

f:id:iVene:20230822000416j:image(頭部背面後方から。中間内歯は内側へ伸びる)

 其の友人の"マイコレ"だったらしく、資金難で泣く泣く出品されたらしかった。もちろん友人の手元にも似た型は"完品の1個体"が残されてあるらしかったが、つまり数十年かけて沢山調達したなかの僅か2頭のうちの一頭。大変希少な個体だった。しかし何度か即売会で並べても誰も見向きもしなかったらしい。「見た目が中国産でよく見る印象だから皆眼中に入らなかったのかも?」なんて考えられた。

 分類考察のため、友人の持つもう1オスの限界型も見せてもらうと、また興味深い事が解った。更にスレンダーで中国産の型に酷似していたのだ。現地調達した際の詳細も教えてもらい、確かにデータについて疑いようが無いと理解した。N. perarmatusについて延々悩んできた自身の経験上ここまで驚いた事もなかなか無い。其れ等の限界型よりも更に大きな準大歯も複数有る。母数は不明瞭だが結構な数は見た覚えがあり、限界大歯の出現率はかなり低いと考えられそう。

 中国産では80mm辺りの同種個体群はまあまあ見られたが、ベトナム北部産だとなかなか75mmを越さない。ベトナム北部産で最大に近い平衡域サイズでは様々な型になるためヴァリエーションを考察する上では面白いが、大型個体は希少性がネックになる。

 他方、"イエンバイ産"として転売屋の出品でスレンダーな限界型が見られた事もあったが、其の出品時期には明らかにベトナム中部産とベトナム北部産をコンタミさせていた現地業者がいた為あまり信用していない。

 標本商の友人によれば、大歯が見られるのはカオバン産で、タムダオ産では準大歯になるものすら皆無らしい。

 友人達と悩みながらかなり時間をかけて比較を行ったが、観察では"ベトナム北部〜中部産と中国産では地域差、つまり亜種よりも低位の実態である可能性が高い"と考察した。遺伝学的にも、こういった地域変異の例がある事は普通に考えられる。はてさて、しかし此の分類は難易度が高い。他の観測者等はどう分類を考えるか。

https://ivene.hateblo.jp/entry/2023/03/16/075141

【References】

Didier, R., 1925. Description d’une espèce nouvelle de Lucanides. Bulletin De La Société Entomologique De France 1925:262-266.

Kriesche, R., 1926. Neue Lucaniden. Stettiner Entomologische Zeitung 87:382-385.

【追記】

 "分類学"について、微妙な分類に挑戦し個人の名を売るのに利用しようとする人達は昔から沢山いるが、大量情報社会である今代に"売名行為"はあまり効果をなさない。目に見えてクオリティの問題が付く事も増え、"論文"というキーワードも迫力を落としてきてしまっている。

https://x.com/satetu4401/status/1690670452824248320?s=46&t=6MVYq5Ovmu_MXJ16l5mXpw

 ただ私的な感覚として、未開拓地域の現地調査など多大な労力をかける人達の名くらいは通って欲しいという願いはある。暗中模索の採集活動から、現地採り子の教育など、新地開拓的な調査には相当の技術力と労力をかける必要がある。

https://news10090501.blog.ss-blog.jp/2010-12-02

 しかしそんな活動をしてきた人達ですら今の時代では四苦八苦してきている。そもそも黄金期以前から虫業界というのはアマチュアのボランティア的要素で大きくなってきた部分が多いし、せっかく苦労して新しく開拓してもフリーライドしてくる後出の商売人達がネタに吸い付いてきて競合する。

https://baio-labo.com/%e3%80%90%e3%83%90%e3%82%a4%e3%82%aa%e9%99%a2%e5%8d%92%e3%81%8c%e6%96%ad%e8%a8%80%ef%bc%81%e3%80%91%e5%ae%89%e5%ae%9a%e3%81%97%e3%81%9f%e3%81%84%e3%81%aa%e3%82%89%e7%94%9f%e7%89%a9%e5%ad%a6%e9%83%a8/

 生物系の話題はネタは無限かのようにあるが、無限過ぎる上に細か過ぎるため一つ一つの仕事について意義が世間に伝わりにくい。また調べ方や順序も科学的には決まった方法があるから、ひとたびノーベル賞クラスの技術発見を誰かがすれば先端バイオでパワーバランスが大きく変わり、過渡な変化に付いてこれる人達も限られてゆく。対して優良な大企業で商品開発の職に就けている人達等は"台風の目"に近い場所にいて幸運と言えるだろう。

https://openlabmg.com/column/6.html

 また今代の社会認知的な部分でも様々な問題があるように、信じられる要素を探すのは"ウォーリーをさがせ!"よりも難しい感覚がある。バイオ分野は科学的に考えようとすると"完璧主義にならないと混乱する"なんて話が多く、実際には随分な器用さが求められる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%92%E3%81%95%E3%81%8C%E3%81%9B!

 生物学的なものを扱うというのは、実態的には物理学よりも難しい。しかし物理学や数学なんて全く分からないまま生物学を扱う人達は大変多い。であるため生物学分野はリクルートにおいても、理系内でとりわけ不安定だったりする。

https://www.sasashi0526.xyz/entry/20180131

 生物の分類も生物科学の発展と上手く融和せねば科学的な地位に近づけない。しかし生物学というのは学生の間に習える事だけでは深淵など全く見えてこない。暗記用の教科書だけなのか、論理は?物証は?何がどうなっているのか学校では何も解らない感じが私にもずっとあった。人気のある生物の分類でも物証を揃えないと正確な事が分からないという事は、教科書や"論文"は補助的なツールとしてもあまり優秀とは言いがたい。しかし"生物の本質"は知られないまま分類インフラは日常で庶民的に使用される。

 だから分類学は微妙な分野であるとも言えてしまう。50年以上業界を見てこられた分類屋の友人も、"虫業界で有名になる意味はそんなにない"と仰られる。

 分類屋の友人によれば、分類の論文を書けば昔なら虫の交換で外国の人達と色々やりとり出来たらしい。しかし私の場合だと売りのオファーばかり来て断りの対応に時間を割かれるばかりで得るものは少なかった。友人曰く「ならそれより私見の考察を深めたり採集に行った方が有意義」と。自身でも色々試し"同感"と考える。