【Memorandum】真のメラスマルバネクワガタはインド・ナガランド産のものなのか

 カスタノプテルスマルバネクワガタについて網羅的に調べようとしていた折、標本商の友人がインド・ナガランドで似た個体群を見つけていたらしい事を知った。カスタノプテルスに似てはいるが、なんだか異様な体型に見える。しかも黒化型も見つかっているらしかった。

f:id:iVene:20230917210655j:image(インド・ナガランド産のカスタノプテルスマルバネに似た♂個体。大顎は短く、前脚は細くケイ節外棘は突出が弱め、前胸は幅が比較的狭く、エリトラは卵形的で長め)

 ナガランドというと、西方には有名なメガラヤがあり、南方はマニプール、北東はミャンマーに近い。

 標本商の友人に「個体数が無いから1頭で我慢して!」と言われ、とりあえず1♂発注させてもらい実物を観ればやはり変わっている事が分かった。ナガランドでは此の系統のマルバネクワガタが異常に少ないらしい。。

 ナガランドのクワガタムシ群は種層が周辺地域ほど厚くないが、生物種層の構成は結構変わった感じらしかった。ただし調査コスパがキツいエリアだったらしく、標本商の友人は"もう行かないかも、、"と仰る。ここでは公表しないが、詳細産地を聞けばかなりの奥地で「そんな所まで行ったの?!」と驚くようなポイントだった。同地では同時期に僅か数頭だがサンダースマルバネクワガタも採集されたそう。

f:id:iVene:20230917212425j:image(インド・ナガランド産サンダースマルバネクワガタ♀。前述のカスタノプテルスマルバネ似のものと同時期に採集された個体。やや赤味がある。ダージリン周辺地域では♀が少ないらしいがナガランドでは♂と同じくらいの割合だそうな。しかしナガランド産は全体的に少ない)

 しかし"インド・ナガランド"というと昔からクワガタムシ科等の昆虫が多数採集されてきた事がデータ上で散見される。カスタノプテルスマルバネ等の既知記録も全く無い訳では無さそうと考え調べてみると、"Neolucanus castanopterus var. melas Didier, 1930"がインド・ナガランドとインド・マニプールから記載されていた。

 "メラスマルバネクワガタ"とは何か。一時的にシノニム扱いだったのをミャンマー産を基に復活され、今やカスタノプテルスマルバネクワガタとよく近似しているのに別種扱いでどうも気になる。原記載ではカスタノプテルスマルバネクワガタの一型として記載された(※現行の命名規約で"亜種"と見做される年代に記載された"型")。

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f:id:iVene:20230917205816j:image(「Nagai, S. 2000. Twelve new species, three new subspecies, two new status and with the checklist of the family Lucanidae of northern Myanmar. Notes on Eurasian insects No.3 Insects :73-108.」より引用。此のプタオ産♂個体はナガランド産個体群に比べ大顎が微妙に細長い、前胸が幅広、前脚ケイ節外棘が突出気味、エリトラはそこまで長くない。肩部は脚と重なって見えてしまい比較しづらい。此のプタオ産については亜種キンラミとは微妙な差異に見え、生物学的に亜種以上の区別が出来ない可能性もありうる)

 前述の通り日本の文献等では永井氏による学名復活の起用以降、ミャンマー北部から見つかってきた暗色傾向のものがそうだろうとされてきた。

 永井氏はメラスマルバネの原記載の記述内容と合うとしてミャンマー北部産に其の学名を充てたが、私はタイプ個体をチラと見た事があり、どうも体型が異なる事に違和感を持っていた。大顎は閉じていたが短く、体型ももう少し細身な印象だったのだ。

 メラスマルバネクワガタは基準産地をインド・ナガランドとする後出記載と、インド・マニプールとする後出記載があって混乱するが、原記載を参照すればタイプは♂個体がナガランド産で、♀個体がマニプール産とされている事が解る。

 ナガランド産やマニプール産は、満足に文献に載る図が無い。また割と産地の近いインド・メガラヤ産などとメラスマルバネのタイプ個体とは全く印象が異なる。

 ナガランド産カスタノプテルスは黒化型もいるらしい。他の個体群も観る限り型は細長い。もしや新たに採集されたナガランド産個体群こそが真のメラスマルバネクワガタではないのかとの思考がよぎる。

、、、、、、

 他産地に比べても、ナガランド産はとりわけ滅多に採集されないらしい。私が支払った代金はカスタノプテルス系としてはズバ抜けて最高額だったが、其の希少性と標本商の友人がかけられた労力を考慮した。

 ナガランド〜マニプールのクワガタ群は、ミャンマー・チンヒルと共通するものが多い。チンヒル産のカスタノプテルスマルバネもやや変わった感じだが、前脚ケイ節の棘列の突出具合などがナガランド産と異なる。なおチンヒル産は既知の分類群か否かいまいち分かっていない。

 永井氏によるメラスマルバネクワガタの分類復活は、やや教条的な部分があって誤りを含む可能性が高いと考えられ、またナガランドで得られた個体群とメラスマルバネのタイプ個体の一致率から、"ナガランド産でカスタノプテルスマルバネクワガタに似る生物集団が真のメラスマルバネクワガタである可能性が高い"との考察結果が導き出された。自身で確認したナガランド産カスタノプテルス系オス個体の交尾器は陰茎部が小さい比率をしていたが、僅かな観察であるため此の程度の差異はカスタノプテルス種の変異内である可能性も否めない。

 ではミャンマー北部産の"メラスマルバネ"とされる個体群は何だろうか。ミャンマー北部〜雲南北西部で見られるいわゆる"亜種キンラミ"とされる生物集団は大型になりやすく特異的な体型になるが高標高に分布する亜種と考えられる。永井氏が示したプタオ産は標高2500mで得られたものらしいが、"亜種キンラミ"の黒化型かもしれない。カチン州チュドラジでも暗色型は見つけられている。

 ミャンマー北部ではカチン州からザガイン管区まで中標高で見られる比較的円っこい個体群が"メラスマルバネ"と一般的に呼称される型を呈し、カスタノプテルスマルバネの一亜種と考えられる。この生物集団は雲南南西部の中標高で見られる個体群にもよく似ており、また雲南南西部産は既知の分類群の原記載で一致率の高いものがある。

【References】

Didier, R., 1930. Étude sur les Coléoptères Lucanides du globe. XI. Descriptions de Lucanides nouveaux ou peu connus de la Famille des Odontolabinae. Librairie Speciale Agricole, Paris Fascicule 7:141-150.

Nagai, S. 2000. Twelve new species, three new subspecies, two new status and with the checklist of the family Lucanidae of northern Myanmar. Notes on Eurasian insects No.3 Insects :73-108.

【追記】

 カスタノプテルスマルバネクワガタ等は生物を考える上で分化の自然史を理解させてくれるロマンの深いグループであるが、"タイ産"等含めいかんせんデータの問題がつきまとう。考察にはやはり正確なデータのものを揃えたい。

https://itainews.com/archives/2028740.html

 友人達ともデータについて長らく議論してきたが"やっぱり転売屋の話は不安が多い"という結論になりやすい。

https://x.com/kakitumi/status/1700156389832741142?s=46&t=6MVYq5Ovmu_MXJ16l5mXpw

 虫がマネーロンダリング的に扱われていそうな話もあり、欺瞞が付き纏う。マネロン下の商業は画餅で全く参考にならない。

https://x.com/campaign_otaku/status/1701942213490716722?s=46&t=6MVYq5Ovmu_MXJ16l5mXpw

 世の中を考える上で"認知科学"というものもある。データを考える上でも、"信用できるデータ"と"そうでないもの"は明確に分けて考えられなくてはならない。

https://www.jcss.gr.jp/about/whats_cogsci.html

 科学的研究は"実験等で其れをやる研究者達だけが知る事実"みたいな物事も多くあり、其の認知的問題を軽減するため世に出される科学論文でも、手法を含め或る程度は情報が公開されてある。其れでも減らない問題もあるが。。

https://nazology.net/archives/107875#

【雑記】

 未知エリアの開拓的調査となると普通ではないコストがかかるようになる。其の振れ幅は現地の物価や情勢に左右される。新種が膨大に眠っていそうな場所などはレアケースなものの目をつけられる場所は、大規模な調査ともなって旅費以外にも現地人達の雇用費などかなりかさみ、金銭的な部分以外の労力も大変なものになりやすい。

 他方、ネタが古くなった産地は現地人がインターネットを介して短期的だが商売をやるようになり大抵現地値で売られる(※オークションでもない)。日本国内でもそうだが"虫"は生活の場の隣にいるので、積極的にお金儲けの手段にする現地人達は一部地域を除いて大変少ないから底値的。

f:id:iVene:20230917204541j:imageニューギニア島ティミカ産のゲストロホソアカクワガタ。此の個体は幸運にも未同定時に3ドルで入手したものだった。普通は希少と考えられ高額で売買されるが、入手当時の原価はそういうものだった。希少種は能動的に採集しようとなると旅費や希少性の制約でかなりの費用がかかる。費用を補うため、普通種が底値に近い代わりにこういう種に高値が付けられる)

 長年に亘り現地入りする邦人採集家などが高く評価されるのは、やはり"データの信頼性"が一番大きい要素。私なんかが現地採集家達に対して考えるリスペクトはそこにある本質の部分だったりする。