【Memorandum】どっちが本当?〜二重データについて〜

 図鑑にあるデータを参照して、どの地域にどんな形の生物が分布しているのか調べる事がある。しかし変な掲載に出会す事が少なからずある。

 アフリカ産クワガタ等を調べていたなか散見された事がキッカケで書く記事となるが、以下に実例を列挙して考察する。

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f:id:iVene:20221223205502j:image(「Bartolozzi & Werner. 2004. Illustrated Catalogue of the Lucanidae from Africa and Madagascar. ― Hradec Kralové (Taita Publishers): 189 pp.」より引用。此の図鑑ではProsopocoilus senegalensis (Klug, 1835)について基準産地を"Principe Is."としてある。P. senegalensisについては原記載でDejean, 1833を参照するよう促されるが基準産地を確認してみると"Senegal"であり、後記載の"Principe Is."というのは全くの誤り。おそらく別な分類群のページを流用・編集する段階で未完成のまま作られたページと考えられ、同ページにて図示される中にアンティロプスノコギリクワガタの誤同定が見られる

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f:id:iVene:20221223201142j:image(「Klug, J. C. F., 1835. Verzeichniss von Thieren und Pflanzen, welche auf einer Reise um die Erde gesammelt wurden von A.Erman. V.Insekten (Coleoptera). Berlin G.Reimer :27-50.」より引用。 "Lucanus senegalensis Klug, 1835"は、P. senegalensisのbasionym。現存するタイプは小型♂個体

https://en.wikipedia.org/wiki/Basionym


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f:id:iVene:20221223201159j:image(「Dejean., 1833. Catalogue des Coléoptères de la collection de M. le Comte Dejean. [Livraisons 1-2]. Méquignon-Marvis, Paris, 1–176.」より引用。此の時点では裸名だったが"Dorcus Senegalensis"と称された。産地は"Senegal."とある。記述内容からDupont氏が綴った文字列と読解される。つまりBartolozzi & Werner. 2004の間違いは"孫引きはいかん"という事もよく解る教訓の例という事

 データについて"誤りがありそう"と考えられても、間違いでない可能性も考えられる事があるため、簡単には間違いとは言いきれない。ただ適当に売られている物のデータが正確とも言いきれない。


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(「Nishiyama, Y. 2000. Stag beetles of the world. Mokuyo-sha, Tokyo.」より引用。此の図鑑では、別ページにて同一個体に全く別のデータが付記される例がある。一つの個体に"全く別な時間空間で採集された事"を示すデータは物理的に有り得ない事を意味している。ただし同一文献内である事から、なるべく抑えて解釈すれば"過失による誤り"が原因と考えられる

 論文には何度も裏を取ってからデータを載せる。データが分類を左右する場合もあるから、現地採集人から直接入手したデータでも疑わしくば再確認し「間違いなく其の場所・其の時期で採集した」と言われて漸く参考にする。フェノコピーなど生物学的な整合性の考察を行い、また採集人の他成果物からもデータの信用度を測る。

 なお飼育累代個体群を参考にする場合は、WF1〜WF2のインブリード個体に拘る(※此の場合、現地飼育個体群を天然物として売る輸入業者のリスクを考える)。特に飼育難易度の高い種では、既に偏ったフェノコピーがCB累代で起こる雑種強勢更に偏る可能性が高いから分類学的には参考にし辛いという事情がある。「飼育個体は形が変わる」という説は、こういった遺伝子的な機序による結果を見てそう言われている場合も多い。

https://aucfree.com/m/items/l436194041

 顕性潜性の表現型が片方のみ著しく出現頻度が低くなっている現象は遺伝学的に普通に考えられる話である。フェノコピーにより地域により表現型の出現率が逆転する事もあらゆる分類群で見られる。WF1〜WF2での確率や野生下での稀型の出現率を考えてもそう違和感のある事ではない。参考にしづらいのは売り込みの激しいCB個体・転売個体・商業主義的な人達の話だけに偏る。

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(セリコルニスノコギリクワガタの完全大歯型は野生下の大型個体群でも極少数の割合でしか出ない稀型で、更に飼育下では出現例がほぼ皆無)

 しかし、あまりにも酷いデータ表記の図示が為される場合については考えるべき事が変わってくる。

 過去の図鑑と改めて掲載される図鑑で、同一の個体を図示しながら全く別な産地データが示されている場合、どちらか、或いはどちらもが、どう考えても嘘である。何の説明も無く誤掲載されてしまった個体資料は客観的価値を損うとともに、図示した著者や出版誌に疑念が向けられる。

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(「Fujita, H., 2010. The lucanid beetles of the world Mushi-sha’s Iconographic series of Insect 6.472pp., 248pls. Mushi-sha, Tokyo.」より引用。パラタイプで邦人採集個体らしい"ミャンマー・チン州ビクトリア山産"♀個体に注目する

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(「Tsuchiya, T., 2015. 世界のコクワガタ大図鑑. Be Kuwa No. 54.」より引用。2010年に"チン州ビクトリア山産"として図示された♀個体が2015年には"カチン州チュドラジ産"として図示される。ビクトリア山とチュドラジではかなり距離がある。ミャンマーのチン州産なのかカチン州産なのか、どちらなのか。どちらも誤りなのか

 大して重要でなく、誤りであると判断が容易で、また例数が僅かならば、"そこまでデータ表記に拘りが無くって間違えたのかなぁ"と察する事も可能である。しかし特別重要そうな資料に対して何度も誤掲載が連発されてあると"意識的に誤データが載せてあるのか"と疑念する他なくなる。

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(「Tsuchiya, T., 2021. 世界のノコギリクワガタ大図鑑. Be Kuwa No. 79.」より引用。2021年の日本語昆虫雑誌ではProsopocoilus mefianti Bouyer, 2014の基準産地が"カメルーン北部"かのように記述されるが、実際の基準産地はGabonであり"カメルーン北部"では無い。タイプシリーズの中で唯一カメルーン産は南部の♀であり2021年の後出転載は擦りもしていない。写真の転載とデータを挿入する程度の非常に簡単な作業で、こういう誤掲載をされてしまうと"著者による意識的な問題"が読者に強く伝わってしまう

Holotype mâle : Gabon, Mts Cristal, IX-2005, J.-M. Méfiant, in coll. Th. Bouyer.
Allotype femelle. Gabon, Mts Cristal, II-2006, J.-M. Méfiant, in coll. Th. Bouyer.
Paratypes. 4 mâles et 2 femelles idem holotype mais XII-2005 (télodonte), IX-2005, VI-2006 (X 2), XI-2005 (X 2). 1 mâle et 1 femelle, Gabon, Mts Cristal, VIII-2011, leg. G. Faravel, in coll. Th. Bouyer. 1 femelle, Cameroun Sud, Kribi, II/III-1997, E. Vingerhoedt, in coll. Th. Bouyer.

(「Bouyer, T. 2014. Description de nouvelles Lucanidae africains. Entomologia Africana 19(2):2-6.」より引用)

https://www.researchgate.net/publication/266310698_Description_de_nouvelles_Lucanidae_africaines_Coleoptera

 せっかく正確そうなデータの掲載があっても「間違いかも」なんて考えてしまい、論文の読み込みが甘かったり慣れていない人は別なデータを参照せず僅かな資料で「間違いの筈」とバイアスがかった解釈をしてしまう。

 誤データを何度も反省無く載せてしまうような掲載誌出版社の信頼度スコアは著しく低い。同定のミスは人間のやる事だから少しあっても、誤データ掲載連発は流石に読者にも掲載側自身にとっても全く為にならない。誤掲載を連発するような出版社がデータの真偽について今後何を深く語れるのか。とはいえ、そういう情報発信について冷静に考えたり出来るくらいの"身の引き締まり"が無い人達・出版社というのは限られてくるのだが。。

https://note.com/hima_kuuhaku/n/nd3da614085b3

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(「Tsuchiya, T., 2021. 世界のノコギリクワガタ大図鑑. Be Kuwa No. 79.」より引用。"マダガスカル島産"とあるが35-3みたくビオサットノコギリクワガタとしか思えない型の個体図示が誤同定で為される。視覚的にデータとの違和感が凄い。マダガスカル島からそんな発見例あったっけ?他に例が無さそう、、

【References】

Klug, J. C. F., 1835. Verzeichniss von Thieren und Pflanzen, welche auf einer Reise um die Erde gesammelt wurden von A.Erman. V.Insekten (Coleoptera). Berlin G.Reimer :27-50.

Dejean., 1833. Catalogue des Coléoptères de la collection de M. le Comte Dejean. [Livraisons 1-2]. Méquignon-Marvis, Paris, 1–176.

Bartolozzi & Werner. 2004. Illustrated Catalogue of the Lucanidae from Africa and Madagascar.

Nishiyama, Y. 2000. Stag beetles of the world. Mokuyo-sha, Tokyo.

Bouyer, T. 2014. Description de nouvelles Lucanidae africains. Entomologia Africana 19(2):2-6.

Fujita, H., 2010. The lucanid beetles of the world Mushi-sha’s Iconographic series of Insect 6.472pp., 248pls. Mushi-sha, Tokyo.

Tsuchiya, T., 2015. 世界のコクワガタ大図鑑. Be Kuwa No. 54.

Tsuchiya, T., 2021. 世界のノコギリクワガタ大図鑑. Be Kuwa No. 79.

【追記】

 此のような事情があって、他人からの資料を参照或いは買う場合どうやって信用したら良いかという指南は今代異常に難しい。いつかの記事で書いた通り、信じられるのは"自然の理"のみ。。

 ただ経験則から強いて言えば、例えばデータの正確性について一介の輸出入業者・商売人と現地採集人の話が相反した場合に"どちらが信じられるのか"と問われれば、資料を見た上で私は先ず間違いなく現地採集人の方に信用を置く。現地採集人同士での齟齬ならば採集資料群の質と量、産地へのアクセスのし易い方。実績の為に不正をしうる人間よりも、産地付近在住の村民を信じる。真実により近く無欲・少欲且つ無垢な方の話を信じる。科学的再現性に守られている方を信じる。現地採集人ルートの場合、複数のルートであればデータの正確性を総合判断しやすい。