【Memorandum】"コントロール:対照群"の存在意義について考える

 分類屋の友人と分類や種概念について延々と議論していると「コントロールが無かったり間違っている論文が分類学論文にとても多い」という話に度々なる。此処で言う"コントロール"とは一般的に使われる"操作"として意味する言葉ではなく"対照群"の事。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E7%85%A7%E5%AE%9F%E9%A8%93

 対照群が無ければ実験群について信頼性を評価出来ない。標本商の友人と議論しても「比べるものが充分揃ってないと不明種が何なのか分からんね」というところで必ず議論が止まる。

 研究不正を企てる者によっては、敢えて対照群の表現を省き、検証されるのを拒むような体裁の論文を書く。

 "対照群"は論文を書く理科学系の人達ならば当たり前に知っている基本要素であり、理科学論文では其れが誤った設定だったとしても先ず間違いなく論文図中に含まれる。科学的流儀の一つであり論文の信頼性を左右する基本的な要素だから科学論文では欠かされない。

 人は識別をするときに正誤関係なく必ず相対的評価をする。例えば一般的に"熟したリンゴが赤い事"は何故万人に知られるのだろうか。他人の受売り?他の青や黄色などとは違うから?いやいや、其れよりも「赤い」という汎用される意味を含有する言葉に対応した現象について認知すべき基準を大抵の人達は幼少期に習い、其れを以てリンゴを観察し色の特徴を覚えたからで、尚且つ紛らわしい別の果物がないから歴史的に人々に記憶され識別法が汎用される。

 科学もそうやって古代文明の一般庶民が興して発展してきた。だから「対照群を軽視するのならば"科学"ではない」とまで言われる事もある。

https://loohcs.co/8833/

 実験群について理解を深める為に必要な対照群の設定が無い、或いは著しく誤った論文は結論も誤っている場合が多い。例えば対照群の検証を欠くという事は"著者の個人的思惑"が自動的に対照群と読解され、「著者の主観は如何な根拠にも関係なく自然現象よりも既知知見よりも偉い」というメッセージを含んでしまう。だから科学論文を書く際は最も重視する要素の一つとされる。

 生物種分類の論文でも対照群の設定があるものは少量あるが、しかしながら何故か圧倒的に少数派である。

 科学的に避けるべき事は沢山ある。しかし特に商業主義的過ぎる人達は"科学的観点からしてやってはダメ"とされる事を全部やってしまう。分類学は商売人が関わりやすい、敷居の低い分野だから非科学的な論文も沢山生産される。其れで科学的な雰囲気が薄い分野になっている。

https://www.compoundchem.com/wp-content/uploads/2015/02/A-Rough-Guide-to-Spotting-Bad-Science-JAP.pdf

(此のパンフレットは一般的な理系研究室等で頻繁にレクチャーされる注意事項がよくまとまっている)

 コントロールの無い論文が分類学分野に多い事を、物理学だろうと生物学だろうと別分野の科学者の方々に相談すると大抵驚かれる。対照群を考えるのは科学の世界だと常識であるから、分類学に対しても"そうだろう"という印象が一般的な理系研究者にはあるが、しかし現実はそうでない。「そういうメソッド軽視が罷り通ってるから、無駄な記載が乱立したり、分類が混乱するのは当然でしょう」とコメントをいただいた事があり、私も気落ちしながら全く同感だった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%9A%84%E4%B8%8D%E5%8D%94%E5%92%8C

 だから一般的な科学論文を読んでいるとよろしくない論文も沢山あるが、対照群の設定を欠いたものが皆無である事が、当たり前の事なのに感心してしまう。相対評価すれば「分類学は科学ではない」という人達の主張は真実味が出る。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B9%E5%8A%B9%E6%9E%9C

 例えば"未記載種"というと「既知の種に対して」、"希少種"という言葉は「普通種に比べて」、"大型種"は「同属あるいは近縁属の中型種や小型種よりも」という前提要素が隠れている事が無意識的に読解される。科学に関わろうとすれば、科学的に考えようとすれば、最初のタイトルや論述の主旨のところで「じゃあモチロン対照群を考えるんだね?」という要求が必ずある事が分かる。其れに対して対照群の選定が無い・不足が多い論文というものは、即ち読者に期待させるだけさせておいて読者の知的要求は蹴るものと捉えられる。

 論文を書く場合だけでなく、何かを人々に紹介する際は基本情報を表示してから関連する主張を述べる。一般的な会話上でも常識的である。自身で分類をする時も対照群が不足している場合は考察を保留する。

 だから科学誌では、対照群が無い・或いは採用した対照群の設定が論文の主旨に対して甘いものならば、論文そのものがガラクタ扱いされるか、或いは査読の時点で弾かれるのが普通である。

f:id:iVene:20230509000904j:image(此のクワガタムシが生物種として分類学上どういう立ち位置であるのか、大抵の人には対照の知識が無くて何なのか分からないだろうと考えられる。ちなみに私自身でも5頭しか存在を確認出来ていない)

 一般庶民には見極めにくいハッタリを故意に使い売名目的の論文を書く人達が少なからず存在するが、研究者を目指しながらそういう人間達を信奉する学生も沢山見られる。文系の人達ならば科学的手法は教えられていないから信奉してしまうのも無理はないかと考えられるが、理系でありながら"対照群の表現が甘い論文を書く著者"等を信奉する研究者(?)はかなり危うい。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu12/houkoku/attach/1334663.htm

 対照群は相対評価をする為に設定する。一つの或る主張をするならば、軸になる知見や前例と比較したものでなければ"客観的な考察が出来ている"とは全く言えないからである。

 対照群と比較する上で、対照群の持つ意味が真実であるか否か確かめる意味でも、自身で新たに再現性を確認するケースも多い。わざわざ書くまでもなく再現性は有るべきだが、論文で"再現性はあります"と書いてあっても前例の少ない話は再現実験を行う。"再現性"の再現性を確かめるという目的があるし、"再現性の再現性"の再現性を確かめる意味もある。他の信頼性の高い既知論理と矛盾しない事が前提条件だが、知見がランダムな実験者により繰り返されて結果が積まれば信頼性もやや増していく。論文が嘘を吐いていないとは限らないから、知見に乏しい椿説を扱っていないか自身で調べる事が推奨される。

https://korekara-marketing.com/statistics-interval-estimation-2/

 対照群の設定は厳しければ厳しいほど結論の信頼性が上がるが、比較条件がバラバラになってしまうような複雑なものにすると意味はなくなる。読者が主旨の正確さを簡潔に理解出来るよう比較した対照群の設定にする。科学論文では、読者が論文表現で新説と既知説を"其れが真実なのかどうか"相対評価しやすいよう著者は心掛ける。

 データに対する相対評価も「転売屋よりも採集家の方が信用出来る」、「初入荷された明瞭な特徴を持つ分類群生体から産まれたWF1の方が、後追いで仕入れられた"ただ野外採集個体と称されるもの"よりも信頼性が高い」、「曖昧なものより詳しいものが良い」、「再現性は高い方が良い」、「他者採集よりも自己採集の方が信用できる」などの相対的なものである。対照群のデータも詳細で正確なものを選定する。

 ただ対照群の設定は網羅的に知見を考えなくてはならず、一般的には難易度の高い論理パズルのようなものとも考えられる。一般的に科学者達がそういった事について得意なのは、其の部分を延々と学んできているから。だから対照群の考察が希薄な論文著者は、たとえ其れが学者であろうとも「個人的都合の為に真実から遠ざかった人」と評される。

 相対評価によって、創作的表現も面白いか面白くないか直観的に見定められる。

https://itainews.com/archives/2024901.html

 例えば私の場合だと、放映時に沢山宣伝されたSF映画インターステラー」を観た後に"最後の御都合主義的解決で中盤までの努力の価値を殆ど無意味にしたシナリオ"と感じたのは、他の映像作品も沢山観てきたから。

http://oookaworks.seesaa.net/article/411545327.html?amp=1

https://tel-01.hateblo.jp/entry/2014/12/01/174400

https://m.youtube.com/watch?v=XZGGKDCbYwc

https://tabi-labo.com/201347/black-hole-nasa

 科学の発展に乏しかった時代は、似たような問題として"偶像崇拝"がユダヤ教キリスト教イスラム教で批判や禁止がなされた。"神"は"人外の権威"として考えられやすいが、神でない偶像を神として崇め、個人的欲望を"神威"と偽り他人に従わせようとした人達は確かに存在した。或いは"免罪符"等のように偶像に縋って罪の意識から解放されたい人達に好まれた。しかし"神の僭称"は神に対する冒涜と言える。誤った権威の例は、権力本位の"宗教裁判"、誤解に基づく"魔女狩り"等の歴史上存在した此れ等に見られる人類史の汚点であり、科学の世界でも誤認の戒めや教訓としてよく喩え話に使われる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%B6%E5%83%8F%E5%B4%87%E6%8B%9D

千夜一夜物語の一節では、偶像崇拝に耽った村人が、イスラム教における全知全能の唯一神アッラーの怒りを買い、全員石化させられた描写がある)

https://www.a-inquiry.com/word35/

 例えば私はどれかと言うと、日本の神道に見られる八百万の神のような"人知の及ばない自然"に神性の存在を考えているので、人が勝手に想像したり創造したりする技術的な形状にはあまり神性の威信や霊圧(?)を感じない。"其れはそういうものなのだ"という解釈に留まる。

https://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/miyasaka/post-249.html

(仏教もブッダ偶像崇拝に否定的だった事から最初は仏像が無かった。段々と出てきた理由もあったが、像にする以上は其れ相応の厳しさがあった。"市販の仏像に荘厳さや魅力を感じないのは其の為か"と歴史から理解出来る)

 隕石が落ちてくると決まれば必ず落ちてくるし、火山が噴火すると決まれば必ず噴火する。生物種が生き延びると自然の中で決まっていれば生き延びる。自然を大切に考えれば、太古から血を繋いできたあらゆる生物種が生き延びやすい世界になる。人が関わったせいで自然界生物系統が絶滅したり此れから絶滅するなんて事が無い世の中が一番良い。不相応なものに神性を付与するなんて権威主義的過ぎる。

 権威主義(けんいしゅぎ、英語: Authoritarianism、ドイツ語: Autotarismus)とは、権威をたてにとって思考・行動したり、権威に対して盲目的に服従したりする個人や社会組織の態度を指す。政治学においては、権力を元首または政治組織(政党など)が独占して統治を行う政治思想や政治体制のことである。

 全体主義よりも穏健な体制、あるいは非民主主義の総称として独裁政治、専制政治神権政治を含めた用語として使用されている。権威主義的な統治の下では、国や地域における政治権力が一人または複数の指導者に集中しており、その指導者は典型的には選挙されず、排他的で責任を負わない恣意的な権力を持つ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%A9%E5%A8%81%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 さて、此のように対照群が無かったり設定が甘かったりすると、比較の結果が現実なのか夢幻なのか分からなくなってしまう事も多い。だから科学的には対照群の正確な設定というのは本来不可欠な要素とされる。

f:id:iVene:20230508235754j:image (日本国各地産コクワガタ。亜種の記載が複数あるが決定的には見分けられ無さそうな、連続的な変異が多い。地域変異も結構あって其れは面白いが、文献等で"亜種"に分類されている事の多い紛らわしい産地のもの同士を比較すると識別難易度が異常に高い。自身の手持ちにある標本群は野外個体が殆どであるものの数量が充分では無いので、特大ドイツ箱4箱分の日本国各地産コクワガタを集められた分類屋の友人に聞いてみると、やはり"現状の分類は細分化され過ぎている"との所感だそうだった)

 対照群を軽視する事で認知的に齎されるデメリットもあり、例えば文献や外形ばかりで分類考察の記事を残す或るサイト管理者は、過去に「分類考察に実物は不要、文献だけで良い」と主張していたらしく、さる著名人から叱責を受けたらしいと友人から裏話を聞いた。こういう誤認の軌道修正が出来る人は稀で、大抵は遅きに失したようになる。文献や外観のみを対照にしては確かに分からない事が多い。

 科学論文とするならば、最低限守らないといけない体裁が存在する。論文著者には"著者の責任"があるが、昨今は"実績の獲得を求めつつ責任は取りたがらない人間"が多い。対照群の考察は"実験者の主観"を読者に伝える意味で不可欠であり、そういった必要不可欠な表現を欠いていたりして意味不明になってしまった論文の著者は汚名を被る覚悟をせねばならない。

http://extremeright.blog.jp/archives/10510561.html

Science without religion is lame, religion without science is blind.

宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である。

(By Albert Einstein)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E9%83%A8%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9C%81%E8%AA%8D%E5%AE%9A%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E4%BA%8B%E6%A1%88%E4%B8%80%E8%A6%A7

【追記】

 「知識が無いと騙される」とはよく言われる話。そういう事を考えるのに、歴史上起きた様々な詐欺の実例を考えると多くの教訓を得られる。本文の議題について考えていた中ちょうどタイムリーに悪い実例が散見されたので、注意喚起も兼ねつつ説明する。

https://itainews.com/archives/2024765.html

 今年2023年始め辺りから、調べものをしている際に日本語の通販サイトらしきページが頻繁にヒットするようになった。出品内容は様々であるが高額商品が多く、虫カテゴリーでは雌雄モザイクのクワガタなど高額な奇形個体の出品が目立つ。いやいや、よくよく見れば何処かで見た風な出品画像ばかりで、いくつか調べてみるとヤフオク等で落札履歴の付いたものと全く同じ出品内容が含まれる事が分かった。コピーサイト?にわかに出てきたサイトにしては妙な雰囲気である。過去にこんな通販サイトがあったなんて話も聞いた事がない。

https://sigh.auntcapital.online/index.php?main_page=product_info&products_id=9071

(まぁ此れは単に黒ずんだ個体だろうけど)

https://aucview.aucfan.com/yahoo/e1058795677/

 画像を流用した転売?高額とはいえ大幅値下げ表記などあり、また即決購入システムが採られてあって、オークションよりも安価で一般庶民の手の届きやすい値段が多数見受けられる。興味が薄くともウッカリ手を出してしまいそうになる。

https://sigh.auntcapital.online/index.php?main_page=index&cPath=99_101&zenid=a11bvf33qsb8phhkrrg7etnfo0

 怪訝に思いつつ、とりあえず出品内容は間に合っていて要らないので放置していれば、同様のサイトが3つ程増殖していた。会社概要から責任者氏名、連絡先まで書いてあって一般的な通販サイトに酷似している。何とも如何にもなサイトで最もらしい。簡単な気分で高い買い物をしても大丈夫そうな雰囲気に沢山飾られてある。だからこそ嘘臭い。

https://rhtn.jincommunityhe.top/index.php?main_page=index&cPath=4_5_126

 私は全く取引利用しなかったため分からなかったが、此れ等のサイトは最初から詐欺臭さが物凄かった。ネット上の詐欺について標本商の友人と議論になった際に話題に出してみると、友人は私が言うまで知らなかったらしく、其の事から件のサイトは最近新設された可能性が高いと予想された。

 調べなおしてみると、また違う近似サイトに複数ヒットした。中には全く同じ虫個体が何度も売れているかのような表示と、似たりよったりの高評価コメント?が多数見られて何十何百と流れてゆくのもあった。最近そんなに虫の売買って流行ってたっけ、というかレビューの付き方が内容も含めて怪し過ぎる。

https://farm.jobokay.best/index.php?main_page=index&cPath=83_84

 虫の名前をGoogle画像検索からサーチしないとヒットしないような感じになっており、需要のターゲットはまさしくヤフオクやメルカリを見ない人達に絞られ、ヤフオクやメルカリばかり見る人達にはサイトの存在が気付かれにくい格好である。

 現状では最初期に見つけた怪しいサイトのうち数件は閉鎖され、アクセスしてもエラーメッセージのページに繋がる。

https://burnet.com.ar/2le7hf9k7h.html

https://hirucake.lk/product/twin-birthday-gifts/?asideu/886260

 中にはクワガタの画像先urlを踏めばフィンランドの網膜協会?のページに飛ぶものすらあった。サイト作成の素体に使われたのだろう。ページ先の表記内容から現状確認で2023年2月2日に更新されたページと解る。つまり此の時期辺り以降に怪しげなサイトが出てきたと推察できる。

https://www.google.co.jp/imgres?imgurl=https%3A%2F%2Fimg.aucfree.com%2Fn367880758.1.jpg&tbnid=ujdhBIhvhrvU5M&vet=1&imgrefurl=http%3A%2F%2Fwww.retina.fi%2Finoculation%2Fcertificate%2Findex.php%2Fsplenetic%2Fcertificate%2F1511745&docid=G_ahTkM_VUitzM&w=600&h=450&source=sh%2Fx%2Fim

http://www.retina.fi/inoculation/certificate/index.php/splenetic/certificate/1511745

 新しく見つけた近似サイトの内容も同様で、どうもヤフオクやメルカリから画像と商品説明の文章がコピペされてある。しかもサイトの"会社概要"のページにある住所をGoogle検索にかけると全く無関係の別企業しかヒットしない。此の情報で私や友人は此れ等がダミー会社の詐欺サイトである可能性が極めて高いと理解した。

 此れ等のサイトで購入手続きをした商品(?)は購入者の所へ届かずに、支払った金額は盗られて返ってこないと考えられる。先んじて閉鎖した数件のサイトは、被害に遭われた人達が通報して閉鎖されたのだろう。

 最初は外国人によるものかと疑ったが、"外国人に扮した日本国内の人間"が立ち上げたサイトの可能性もあった。内容のレビューを読む限り、商品の仕様と少しは合うように記述が不自然にも編集されたらしいレビューになっている。少なくとも日本語を少々理解しているらしい。ebay等外国のページは使われず、ヤフオクとメルカリの出品のみがコピペされてある感じなのもキナ臭い。

 模倣サイトがしつこく複数出てきたという事は、通報対策の保険として複数作られてあると考えられる。運営者にとっては放置しておくだけでカネが入ってくる強力な資金源になっていそうでもある。情報弱者を狙った悪質な詐欺サイトと考えられる。

 出品内容はヤフオクやメルカリと被るものが多いから慣れている人達は騙されにくいが、知らない一般層にとっては目新しい出品であるから悪意を見抜くのが難しい。

https://day.goodgifs.life/index.php?main_page=product_info&products_id=47252

 釣り上げオークションを見る件数が昨年末から減少傾向と思ったら、モグラ叩きのモグラの如く詐欺サイトが出現し急増してきた。最近急激に出てきて「物凄く怪しい」気分だが、"会社概要"の説明にデタラメが混じるという事は誰が運用しているのか不明で、複数一気に出てきたという事は"サイト管理者は無謀にも詐欺に自信を持っているらしい"とも予想される。また現行のページが通報により閉鎖されても新しいサイトが作られイタチごっこになる可能性もある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%81%E6%A5%AD%E8%88%8E%E5%BC%9F

 近年の詐欺はどんどん巧妙化していて、慣れていない人達ほど騙されやすいデザインになってきている。詐欺師というのは法外な利益を上げる為ならば何でもやる。新興宗教擬似科学的な商売があるのも同様。オークションを悪用した相場釣り上げも同様である。

https://smartlog.jp/235886

 人によって"分かりやすい詐欺・分かりにくい詐欺"の判別法は経験則に基づくため"悪意を見抜く方法"は異なるが、詐欺の臭いがしたら購入手続きに進まないようにゆめゆめ注意されたい。メールアドレスも抜かれるのでアカウントも作らない方が良い。

https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_policy/caution/internet/trouble/internet.html

 念のため詐欺被害に遭ってしまった人が支払った金額を取り戻す手順が書いてあるページも以下にリンクする。

https://jp.norton.com/blog/online-scams/netshopping-scam

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 しかし悪質な詐欺師が落ちるとなれば何処の地獄になるのだろう。大叫喚地獄の人闇煙処か如飛虫堕処、或いは異々転処の辺りかなァ。